
麻生太郎財務相が、4月9日に発表した新紙幣!
この新札の1万円に採用された人物が渋沢栄一(しぶさわえいいち)。肖像画には国民がよく知っている人物であり、教科書にも載っていて世界に誇れること。
それが基準なのですが、
正直、よく知らない!
今回は、そんな渋沢栄一って何をした人なのか?そのすごさを小学生にもわかるようにわかりやすく説明してみたいと思います。
目次
渋沢栄一って何をした人?
まずは、やはり何をした人なのか?気になる重要な部分。
簡単に言うと、
注目『日本経済や資本主義の発展に貢献した大実業家』です。
ちなみに、
業績の良い会社は良い給料、また成功すれば富を得られますが、その反面、失業したり低賃金のリスクもあります。
もっと簡単に言うと、
日本で初の株式会社を作った人
現在の超有名企業の設立にたくさん関わった人
経済だけじゃない!教育にも貢献!
といった人です。
すごい!日本で初の株式会社を作った!
日本の資本主義は、明治維新に「士農工商制度」が廃止された頃から資本主義が発展した歴史があります。
明治維新は、約260年の江戸時代の終わり、つまり幕末の武士が消えていった時代の革命です。
大政奉還(たいせいほうかん)や戊辰戦争(ぼしんせんそう)という言葉を聞いた事がある人もいるのではないでしょうか。
そんな時代に、渋沢栄一は、パリ万国博覧会に将軍の代理として、約2年間ヨーロッパを視察。
そこで知った身分制度ではない商業を中心とした利益を考える国の姿、そして株式会社形態の企業の運営方法に刺激を受けたのです。
その後、日本に帰った渋沢栄一は、この株式会社を日本で設立。それが「商法会所」という銀行商社です。
「日本資本主義の父」とも言われています。
あの超有名企業にも名が出る渋沢栄一!その数約500!
大隈重信の頼みから、政府再建という名目で大蔵省に入省し、貨幣制度や金融の導入などを行った渋沢栄一でしたが、33歳の時に政府役人から一般実業家に転身。
その後、日本初の銀行「第一国立銀行」を切離し、初代頭取となり、地方銀行の設立に力を注ぎます。
また、その後は金融関係にとどまらず、保険や鉄道、食品などジャンルを超えて様々な企業創立に貢献していきました。
紙需要を見込み、国内で初の本格的な洋紙製造会社となる抄紙会社(現在の王子製紙の前身)の創立にも中心となっていました。
創立に関わった企業
・現在の東京ガスにあたる東京瓦斯
・現在の東京紡績にあたる大阪紡績
・東京電力
・現在の東京海上日動にあたる東京海上保険
・日本郵船
・現在のサッポロビールにあたる札幌麦酒
・澁澤倉庫
その他にも、帝国ホテルや七十七銀行、太平洋セメント、などなど挙げればキリがないのですが、日本を代表する一流の企業に関わっていました。
渋沢栄一って凄い!そのすごさとは?
渋沢栄一が唱えていた「道徳経済合一説」。
これは、
企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならないという意味
引用URL:渋沢栄一記念財団
というものです。
私利私欲のため、会社の会長や財閥などを作ったりしなかったことが素晴らしい!
つまり、大きな富を生み、そのお金を使って日本全体をさらに発展させていったのです。
また、彼はこの道徳・将来への思いからか、経済や企業という観点を飛び越えてさらに国の反映の根本にも関わります。
渋沢栄一は約600もの教育機関や公共事業に貢献
実は渋沢栄一は、日本の教育機関にも多大な貢献をしています。
例えば、商法講習所(現在の一橋大学)を創立し、日本で初の商業学校を作ったり、当時では珍しい日本女子大学校(現在の 日本女子大学)へ多額の寄付もしています。
日本女子大学校は成瀬仁蔵が初代校長の学校なのですが、渋沢栄一は設立から深く関わり、創立委員や会計監督を行い、開校式などの式典で演説。その記録は渋沢栄一伝記資料にも記されています。
その他にも、大倉商業学校(東京経済大学)の創立委員、東京大学の文学部講師、をしていたりと多くの教育機関に貢献。
さらに、
現在の日本赤十字である博愛社の社員、知的障害児の保護教育機関として有名な滝乃川学園の理事長、現在の東京工業大学の東京高等工業学校への多大な寄付などもしています。
渋沢栄一って凄い!まとめ
いかがでしたか?
渋沢栄一のすごさを少しでも分かって頂けると幸いです。
- 生涯の中で約500の企業に関わった
- 生涯の中で約600の教育機関や公共事業に貢献
- 富を自分の欲ではなく、日本の発展に使った
今の日本を作っていった渋沢栄一を知らなかったなんて勉強不足でした。ごめんなさい。