2024年からガラッと変わる新札のデザイン。

そして五千円の樋口一葉も津田梅子へと変わります。

ドラマにもちょいちょい登場する津田梅子、何をした人かご存知ですか?実は一万円札の渋沢栄一ともゆかりがあるんです。

今回は、津田梅子を簡単にわかりやすく説明していきたいと思います!

津田梅子って何をした人?何がすごいの?

津田梅子は、津田塾大学の創立者として有名ですが、それだけではなかなか日本のお金の顔になることはありません。

津田梅子は簡単に言うと、

注目
「日本の女性教育を開拓!女性の地位向上に貢献した人」

です。

そう、今の男女平等社会、社会というよりも女性の立場を変える根本となる女性教育を作った人なんです。

1880年頃、日本の社会ではまだまだ女性の立場は男性とは程遠いものでした。選挙権の法律も「満20歳以上の男子」とされていた時代です。

そんな中、幼少時代をアメリカで過ごした津田梅子は、日本のこの状況はダメだと感じ再度アメリカに留学を決意。

自分と同じように女性留学ができるようアメリカで募金を募り、その募金の利子で学生を留学させたりする「日本婦人米国奨学金」を設立しました。

そして、後に津田塾大学となる女子英学塾を開き、「男性と協同して対等に力を発揮できる女性の育成」に力を注ぎ、今の日本に貢献しました。

津田梅子ってどんな人なの?

男女平等社会と書きましたが、津田梅子自身は、女性にも男性と同等の地位を認めさせるのを目指したわけではありません。

女子英学塾の開校にあたり、式辞でこう話しています。

<この塾は女子に専門教育を与える最初の学校であります。したがって世間の目につきやすく、いろいろの批評もうけることと存じます。もし、かような批評が幾分でも女子教育の進歩を妨げることになりますならば、まことに遺憾なことであります。―中略―  なにごとによらず、あまりめだたないように、出すぎないように、いつもしとやかで、謙遜で、ていねいであっていただきたいと望みます。こういう感度は、けっして研究の高い目的と衝突するものではありません。婦人らしい婦人であって、じゅうぶん知識も得られましょうし、男子の学び得る程度の実力を養うこともできましょう>

つまり、女性を主張するというよりも、自由で自立した女性を目指していたようです。

帰国後の日本で、同じ留学生の男性はある程度の地位で働いていたのを横目に、仕事が無かった津田梅子。素晴らしい才能を持っていたにも関わらず、こういった状況に疑問を持ったのだと思います。

でも、これを社会のせいというよりも、その状況を変えようとしない日本女性達にも憤りを感じ、そこから変えていこう!そう志したこともすごい!

単に女性権利を主張・要求するのではなく、女性の柔らかい物腰や知性、そして判断力などを持った女性を育てていきました。

津田梅子と渋沢栄一の関係とは?


津田梅子は、伊藤博文の英語指導や通訳として働いていたり、伊藤博文の推薦で華族女学校(現在の学習院女子)の英語教師を任されたりして交友がありました。

そして、渋沢栄一も伊藤博文、勝海舟らと共に女子教育奨励会を設立。

つまり、女子の教育の必要性を考えていた人物です。もちろん津田塾大学の寄付を行ったり、祝辞を述べたりしています。

渋沢栄一と津田梅子は伊藤博文でつながっていました。

津田梅子って凄い!まとめ

津田梅子は

  • 津田塾大学の創設者
  • 日本の女性教育の先駆者

でした。

数々の秀作を生んだ小説家の樋口一葉とは違った、教育者として評価された人物でした。

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